白夜航路・2
その少女を、最初はビスク・ドォルだと思った。ショウウィンドウの様に大きな硝子窓の内側で、身動ぎもせず座っていたからだ。けれど、さてビスク・ドォルは陶器人形だったか、それとも磁器人形だったかしらと考えている内にぱちりと瞬きをしたので、そうではないと知れた。
黒いレェスで縁取りされたドレスに頸元から足首まで覆われた少女は、行儀よく手を膝に乗せ、唯凝と外を見ている。瞳が黒過ぎて、彼女が何処を見ているのかは良く分からなかった。気を抜けばすとんと落ちて行ってしまいそうな程透き通った秋の空の下で立ち竦んでいると、
「これは失礼を」
と突然後ろから声を掛けられる。
「ようこそいらっしゃいました。さあ、中へどうぞ」
いいえ、私は違います、と言おうとしたが、舌はぴくりとも動かなかった。私より背の低い小男が、にこにこと笑って少し離れた処にある扉を開けている。仕方なく私は扉を潜った。
中はひやりとしており、旧い建物特有のにおいがした。何時の間にか小男の姿は消えており、私は暗い廊下に取り残されてしまっていた。廊下の両側には幾つも扉がある。外から見た時はそう広いとも思わなかったが、廊下は何処までも続いている様に思えた。そろりと歩き出すと、ぽつ、と五メートル程先まで灯りが点いた。少し歩くと、またぽつ、と点く。前が全て見える程は点かず、歩き終わるとすう、と消えてしまう。ふと後ろを見ると、入って来た扉はすっかりくらがりに呑まれていた。
随分歩いたが、未だ着かない。足元だけを見て歩いていると、何時の間にか足音が増えていた。私の少し前に、細く骨張った足首が見える。幾ら思い返しても誰かに追い抜かれた覚えも、前に誰かがいた覚えもないが、影の様に黒い足は確かにそこにあった。
視線を上げると、細い人影が目に入る。随分年を取っている様にも見えたし、未だ学生の様にも見えた。背も高い様な低い様な、髪も服も靴も黒い所為か、如何にも印象がはっきりしない。と、と、と、と規則正しく歩いていたその人影は唐突に立ち止まり、ある扉を開けた。嗚呼着いたのだな、と思い、私は人影に続いて扉の中に入る。
「いらっしゃいませ」
天青石の様な声で、人影は挨拶をした。声と同じく怜悧な、こちらもビスク・ドォルの様に整った顔立ちの青年だった。
「お探しのものは、これでよろしいでしょうか」
青年はゆったりと歩き、大きな椅子の横に立つ。其処に、あの少女が居た。私が答えずにいると、青年は少し首を傾げ、
「一寸お試しになりますか」
と言って少女の小指をぽきりと折り取る。少女はまた瞬きを一つしただけだった。
「どうぞ」
それはまるで、砂糖菓子の様だった。爪等、薄紅で飴の様に艶々している。私が躊躇っていると、青年はもう一度勧め、それでも私が受け取らないのを見ると小さく溜め息を吐いた。
「中々良い仕上がりだと思うのですが」
そして小指を口元に運ぶと、その形が良く薄い唇に先端を咥えた。その時、ちくりと小指の先が痛む。青年がぱき、と音を立ててそれを噛み取ると、またずくりと其処が痛んだ。
「貴方が要らないと仰るなら、私が頂いてしまいましょう」
青年は薬指を折りながら、折角用意した恋情でしたのに、と薄っすら笑った。そうして私の恋情は、すっかり青年に食べられてしまった。