白夜航路・6
眦に筆を引く。唇に指を滑らせる。
「もう少し上をお向き」
そう言うと、女は黙って顔を上げた。目は、伏せたままだ。その睫は長いが真っ直ぐで、いっそ黒過ぎる瞳に更なる陰りを与えているだけの様に思う。しかし、彼女にはそう言う表情が最も良く似合った。つい、と上の唇もたっぷりと紅で濡らした指でなぞり、最後に髪にも真ッ赤の椿を挿す。
「良いよ」
と言ってやれば、女はすぐにまた視線を落とした。その膚は、淡い紅水晶に埋めた象牙の様だ。冴えて青白い雪の膚より、日の香る琥珀の膚より、真ッ赤にはこう言う膚が良い。冷たい床の上に無造作に投げ出された足をまだ紅に濡れた手でなぞってやると、彼女の視線が揺れた。
「折角だから、足の爪も塗ろうか」
囁く様なおれの言葉に、どうぞ、と女は呟く。足を差し出すでも、視線を合わすでもなく。
彼女は、おれの手は骨を薄く氷が覆った様だと言う。確かに青白く骨張っているが、そんなに良いものではない。女の滑らかな膚に、墨と消毒薬でささくれた指先が引っ掛かる。片手にすっかり収まる華奢な足首をそっと持ち上げ、ちいさな爪に丁寧に紅を乗せた。その膚が無駄に汚れない様神経を尖らせて筆を動かしていると、女がぽつりと
「あなたは他の人には青を刺すのに、わたしには赤を差すのですね」
と言った。おれは応えず、針の代わりに筆を紅に浸す。引き上げた筆先から、誰の血よりも赤い雫が落ちた。最後の爪が、赤く染まっていく。